2021年07月18日

芸術がさっぱりわからん。

芸術がさっぱりわからん。


和歌浦芸術区というところに初めて行った。
宮本静ちゃんと和歌山民謡連合会の藤原先生のライブ
(演歌と民謡はライブっていわんのか)を観にいった。
素敵な時間やった。
そしてロケーションやった。

その芸術区のなかに物販コーナーもあった。
缶バッチが300円で作れるというサービスがあり、
スマホの写真ですぐできる。

やりたい!300円でオリジナルバッチってめっちゃええやん。

ええっと、ゴジラにしようかキングギドラにしようか。
著作権あるからあかんのかな。
飼ってたカエルがいいのかイグアナがいいのか。
動物園で観たハシビロコウか大アリクイか。
あんまりみんなが持ってないバッチにしよ!!
とワクワクしながらスマホの写真を探した。

あれ?
私の感覚はやっぱりどこかずれているのかも知れやん。
孫の缶バッチは全くみじんも考えんかった。

<芸術は爆発だ!>

芸術家というものは得てして非凡である。
その点については彼は悲しいほど普通だった。

小さいころから教室でも家でも静かな
従順な子供だった。
反抗期もなかった。
両親は会社勤めの真面目な父と、
スーパーのパート勤めの明るい母。
同じくおとなしい絵が好きな妹とは喧嘩もしたことがない。
平凡な中にも小さな問題はあったが家族で助け合って
生きてきた。

友達もそこそこいた。
それは中学でも高校でも
推薦入学で入った大学でも同じだった。
彼女がいたこともある。

彼の絵の才能の開花は大学に入ってから。
100号の抽象画が世界的な絵画コンクールの大賞を受け、
途端に高値が付いた。

「退廃的でありアクティブでもあるタッチ、
色彩、思想がキャンバスに混在し、交差し、素晴らしい!」
評論家はいい加減なことをいう。

「どんどん描いてくれよ。新進気鋭の画家なんだから。
そしてうちの画廊を君の絵でいっぱいにしてくれ!」
画廊の主人は商売になると喜んでいる。

これでいいんだろうか。
耳をそぎ落としたゴッホのように
家族を捨てたゴーギャンのように
酒・麻薬・女に溺れたモジリアーニのように。
あのピカソにだって不遇の時代はあったのだ。
芸術家とはそんなものだろう。

これを機に両親は仕事を辞め、
妹も就職はしなかった。
しかし、今までと同じように真面目に明るく4人で暮らしている。
「平々凡々。これでいいのか。芸術ってなんだ。
手も汚さずに僕は名誉だけを手に入れてしまった!」

両親と妹は体中絵の具まみれになりながら言った。
「芸術にはシンボルが必要だ」
「描いてるのがあなたを除く家族だなんて非凡じゃない」
「お兄ちゃんは見てればいいの」
3人は声を合わせて言った。
バカボンのパパの口調で。
「これでいいのだ」





Posted by こば at 23:00│Comments(4)
この記事へのコメント
孫の缶バッチの想像せず、吉田拓郎とシンシアの缶バッチのアイデアが頭を過ぎった僕も…
Posted by ひろぽん at 2021年07月19日 09:33
芸術は奥が深い。入り口も見付けにくいし、中は薄暗く、いつ出口が見付かるやら。芸術家が「此が☝️芸術だ」と言えばそれが芸術なのよ。定義なんてないのヨ…とノーカン少年はほざいております。
Posted by ミスターノーカンパートⅡ at 2021年07月20日 10:04
ひろぽんさん
吉田拓郎とシンシアのバッチを胸につけている人に
私は近づくことができません・・・。
Posted by こばこば at 2021年10月08日 07:06
ミスターノーカンパートⅡさん

今日から画家、今日からミュージシャン、今日から書道家
今日から芸術評論家

てのが、YouTubeで毎日展開されております。
多分、出口もなくずっと暗いままで再生数も伸びないまま
やっていくんやろな。

でもそれが芸術というものなのだ。

定義づけは本人やもんね。
Posted by こばこば at 2021年10月08日 07:09
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